愛媛のゴルフ史4
No.4 農地法クリアに秘策
ゴルフ場建設にあたっては、農地をつぶしてはいけないという原則がある。農地法が厳しかったので無理もなかった。そこで、秘策を練った。 農地を緑地帯もしくは公園にするとなれば、農地法もクリアできるとし、ゴルフ場でなく公園の図面を書き、公園の許可をとった公園として造園し、ゴルフ場として利用。公園のなかにゴルフ場があるという形を取った。現在、アウトコースの一部分は川内町黒穂公園と称する公園敷地内に設置されているが、この土地をプレーヤーが利用していることを見ても、農地転用がいかに困難なものであったかを物語っている。しかし、岡山の農政局にばれてしまった。「農地をゴルフ場にするなんて-。農地法違反だ」と怒られる。もうゴルフ場は出来上がっているのに、元に戻すわけにはいかなかった。当時のことを、井部栄治氏は「行政管理庁に呼ばれてさんざん怒られた。ゴルフがしたいばっかしに頭を下げ通しだった」と振り返っている。その後、どのようにして”解決”したかは定かではない。農地法をクリアできた超法規的措置があったのだろうか。ともかく、松山ゴルフ倶楽部川内コースは開場式を行った。昭和33年11月2日のことだった。