愛媛のゴルフ史2
No.2 適地探しに弁当持参で東奔西走
関氏の回顧談からもわかるように、温泉郡川内町松瀬川にゴルフ場を建設すると決まるまでには、紆余曲折があった。武智、栗田八十八氏など戦前からの松山ゴルファーが中心になって候補地を探した。最初に目が向けられたのは、戦前に一時ゴルフ場があった温泉郡小野村播磨塚。次に、現在の松山国際ゴルフ倶楽部の東方にあたる温泉郡重信町上林の麓も適地とされた。候補地は次々に上がった。重信町見奈良、現在の道後ゴルフ倶楽部がある松山市下伊台町、北条市立岩地区、松山市太山寺地区、同市権化地区、皿ヶ峰中腹地区と西に東に、ゴルフ愛好家たちは弁当持参で調査の労をとった。特に、太山寺地区の調査では飛行機をチャーターしたほどの熱心さだった。しかし、いずれもコースとして多少の難点があった。その後、川内町松瀬川に開墾地があるから1度みてくれてという声が寄せられた。同時に設計したのは、設計者の上田治氏の一言だった。