愛媛のゴルフ史3
No.3 アリソンの弟子・上田治氏設計、建設に献身的協力
ここで、日本のゴルフ場の設計において大きな足跡を残した上田氏について少し触れたい。同氏は旧制の松山高等学校の出身で、京大農学部に学ぶ。その後、長らく英国にも滞在、英国のゴルフ場設計家のアリソン氏の事務所でゴルフ設計に習熟。また、同氏のゴルフは本場仕込みの本物だった。さらに、上田市は廣野ゴルフを設計したアリソン氏の指示に従い、廣野のグリーンを造るとともに、長い間、廣野のグリーンキーパーを努めた。上田氏のコース設計の特徴はなぐり打ちするような男性的なデザイン。随所にアリソン式の深いバンカーを設け、プレーヤーの行く手を阻んだ。 設計、建設にあたり、同氏は「ゆかりの土地に造るのだから名誉にかけてもやる」という意気込みが伺えた。同氏は口癖のように「松山は罪滅ぼしだ」と語るなど、松山とのゆかりで献身的に協力した。松山ゴルフ倶楽部の名物のひとつ「アリソン・バンカー」にはコース設計者の上田氏をはさむ形で、アリソン氏との大きなかかわりがあった。日本の風土にあったコース設計を促したのは、英国人のコース設計家のチャールズ・アリソンで、日本のコースを世界的レベルにまで引き上げるに貢献した。彼が設計したコースは現在、廣野しか存在しない。大方のゴルファーには、アリソンという名は深いバンカーで緑がオーバーハングする「アリソン・バンカー」でしか知られていない。川奈でアリソンに遭遇した井上誠一、廣野の現場で助手を努めた上田治はその後、日本を代表するコース設計家となった。二人の元をたどればアリソン氏に突き当たる。